四十七.



 椿は恐ろしさに震えた。予想はしていた事だというのに、改めて自分の罪の重さを思い知らされるようだった。

「姫さま、お殿様(右大臣)は……どうなってしまうのでしょう」

 安芸は涙ぐんでいた。

「分からないわ、……ごめんなさい、安芸。あたくしのせいで、もう、この家に居られなくなってしまうかもしれないわ……」

 ずっと、深窓の姫君として、この邸の奥深く、ただ歌を詠んで琴をかきならすだけの生活をしてきた。家の外へ出た事など数えるほどしかない椿には、外の世界の生活など想像も出来なかった。

「ごめんなさい……」

 自分だけなら、まだ良い。大勢の人が巻き込まれる事も、分かっていたはずなのに……。

「姫さま……」

 昔から臆病で泣き虫だった安芸は、きっと怖いに違いないのに、慰めるように椿の手を撫でてくれた。

 その時、庇の向こう、御簾の前に人影がゆらめいた。

「姫……」

 低く響く、声。

「兄さま!」

 安芸が直ぐに立ち上がった。

「まぁ、こちらへいらっしゃるなんて。御用でしたら、私が伺います!」

 その表情は厳しい。諌めるように椿は、安芸の袿の裾を引いた。

「安芸……あの……隆文を、中へ」

「! 姫さま! いけませんわ……」

 涙の溜まった瞳が、椿をとがめるように睨んだ。

「お願い……」

「姫さま……」

 安芸は何か言いたいのをぐっと堪えるようにして、御簾の前まで行った。安芸の手で少し持ち上げられた御簾をくぐり、隆文が姿を見せる。几帳の前まで来くると、一礼して端座した。

「ご報告を……」

 椿はうなずいて身を乗り出した。

「春宮は、なんて……?」

「……『あの文はお前が出したのか』と、お尋ねになられましたので、『はい』と、答えました。……それに『桜君は何故何も言わないのか。お前が仕組んだのか』とも尋ねられましたので……『その通りです』と」

 椿は血の気が引く思いがした。

「しかし春宮はその先の、詳しい事まではお尋ねにはなりませんでした。『そうか、もういい』とだけおっしゃって、直ぐに私を帰したのです」

「え……」

 意外だった。春宮は、事の真相をどうしても突き止めると息巻いていたはずなのに。

「姫……貴女の御身を、案じておられるようでした。『もう無茶な事をさせるな』との仰せでしたので」

「……」

 あの春宮が、許してくれたというのだろうか。しかしまだ椿には信じ難かった。

「……では、これで」

 隆文はすっと一礼して、さがろうとした。

「えっ、待って、隆文。もう、行ってしまうの」

「……安芸の、懸念している通りです、姫。私はこれからもう当分、こちらへ伺うのは控えます。ただ私の無事だけはご報告して、ご安心頂きたかった」

「そんな」

 隆文はふっと目元を和ませた。

「……私の気持ちは決して、変わりませんよ。姫」

「あ……」

 優しく微笑んで、去っていく。……その後姿を眺めながら、椿は深いため息を漏らした。

(あたくしは、なんて欲深くて愚かなの……)

 ただ無事であれば良いと、祈っていたはずなのに、もう。……もう隆文に甘えたいと思っている。その低い声が囁く甘やかな言葉を欲して、その身に触れたいと願っている。

(今は、あたくしのせいで父上さまもこの家も危殆(きたい)に瀕していると言うのに……!)

 しかし切ない欲望は椿の胸を締め付けて、止める事ができなかった。



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