四十八.
翌日も雪がちらちらと舞う、寒い日だった。朝餉の後直ぐに、椿の元へ父右大臣の訪れがあった。昨日、内裏へ呼び出されたのが既に遅い時間だったので、待ちかねての訪れのようだった。
「椿や」
安芸が案内するのももどかしげに御簾をくぐり、せわしなく椿の前の円座に腰を下ろす。
昨日のようにただ憔悴しているだけではない。父はいつも落ち着いて穏やかな物腰のはずなのに、どこか興奮しているようにも見える。
「……父上さま……?」
父はじっと椿を見つめて、何から切り出そうかと思案しているようだった。そのうち意を決したように、口を開いた。
「……やはりまずは、良い事から、伝えよう」
父は咳払いをした。
「良い、こと」
意外な台詞に驚いていると、父は深く頷いた。
「咲子に、懐妊の兆しがあった」
「……え」
「先日……お前が後宮を出た晩に咲子が倒れてから、翌日も酷く具合が悪そうにしていたので、ご心配下さった主上が念のためにと医師に見せて下さったところ……どうも、そういうことだったらしいのだ」
「……ま、まぁ……」
椿はぽかんと目を見開いた。突然の意外な話。しかしそれが本当ならこれほどめでたい事はない。
「なんと言ったら良いか……本当に、良かったですわ。おめでとうございます……」
「うむ」
父は僅かに頬をほころばせたが、戒めるようにすぐに口を引き結んだ。
「恐れ多くも今上からは『これからは貴方をますます頼りとしなければならない、決して早まった事はなさらず、これからも良く仕えるように』とのお言葉を賜わった」
「……」
「今上は本当に慈悲深く優れたお方であらせられる。私の考えなど全てお見通しのようだった」
早まった事というのは、つまり昨日父が漏らした出家の事だろう。……そこまで帝はお見通しであられるのか。
「私も、咲子に御子が出来るのであれば、出家などとは言っておられぬ。心を入れ替え、ますます良く仕えるつもりでいるよ」
「まぁ……」
椿はほっと息をついて、胸をなでおろした。なんと素晴らしい事だろう。この話が本当なら、帝は椿の罪など露ほどの事とも思っておられないご様子。このまま何事も無く、父に罪が降りかかる事もなく済むのかもしれない。
「しかしな、椿」
父は居住まいを正して椿をじっと見つめた。
「お前のした事は何事も無かったと済まされる様な事ではないぞ。……私も出家して許しを請おうと考えていたが、そうもいかなくなった今、事の次第をきちんと改めてお詫び申し上げなければ、私の気が済まぬ」
「……」
椿はただ瞬きして、口をつぐんだ。……何も、答えることなど、出来ない。
「言いなさい、椿。……なぜ髪を切ったのだ」
「……」
答えられず、ただ黙って目を伏せた。
(とても……言えない)
言えるような事は何一つ無い。
「椿、……主上はこうも言っていた。『三の姫の事、決して責めたりしないように。……想う人でも在ったのでしょう。今は辛いことも多いだろうから、そっとしておきなさい』と」
「……」
帝は一体何処まで知っているのだろうか。……いや、もう全てを知っているのかもしれない。椿は恐ろしくなった。
「このような勿体無いお言葉を頂戴して、私はとても……とてもこのまま主上に叛くような真似を許す訳にはいかぬ。……椿、想い人があったのか!? どうなのだ」
椿は黙ったまま顔をそらして俯いた。
「……あの晩、お前はまっすぐ家へ戻ってこなかったな。……あの公達は。あれは……左兵衛佐と一緒であっただろう……」
(見られていた……!?)
椿は息を呑んだ。あの晩の事がどこまで父に漏れているのか。まさか隆文の事まで、と椿が顔を上げて父の様子を伺おうとしたとき。
「お前が、ずっと左兵衛佐殿から文を頂いていたことは知っている。……左兵衛佐殿と通じておったのか」
「……っ」
意外な言葉に、椿はただ瞬きを繰り返した。
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