四十九.



「いいえ、そのような事は……っ」

 全く見当違いの推測に、椿は慌てて頭を振った。しかし父は厳しい表情のまま椿に詰め寄る。

「しかしお前に繋がりのある公達など、他に誰が居るというのだ。左兵衛佐は高成とも親しいし、思えばこの邸にも良く出入りしていたではないか! ……今まで気づかなかったのは、私の落ち度だ」

「そんな」

「良いか椿、左兵衛佐殿を責めようというのでは無い、ただ事の次第を明らかにしたいだけなのだ。正直に、言いなさい」

「……いいえ、父上さま。そのような事はございませんわ……」

「では! では他にどんな理由があるというのだ」

 もう父は、椿と左兵衛佐が通じていると確信してしまっているようだった。肩を怒らせて、さらにずいと椿に詰め寄る。

「え、椿。お前に、他に想い人が居たとでも言うのかね!?」

「……っ」

 本当の事を言う訳にもいかない。いよいよ椿は追い詰められ、ただひたすら、頭を振った。

「椿や」

 父は縋るような目で椿を見つめている。耐え切れずに、椿は目をそらして俯いた。

「……」

 身を刺すような沈黙が遅々と流れる。

 そのうちに、父は立ち上がった。

「こうなったからには、左兵衛佐殿にも確かめねばならん。……決して、悪いようにはしないつもりだよ。お前はここで大人しくしていなさい、いいね。これ以上この父に心配をかけるような真似をしてはいけないよ」

「……っ、そんな。本当に左兵衛佐様とは、何も」

 しかし父は椿の言葉を遮って、安芸に声をかけた。

「椿の事をよろしく頼んだよ。決して目を離さないように、いいね」

 安芸が深々と平伏するのを見届けて、父は頷きながら椿の部屋を後にした。



「嫌だわ、もうこれ以上、左兵衛佐様にご迷惑なんてお掛けしたく無いのに……」

 父にとんでもない濡れ衣を着せられ、左兵衛佐はさぞや困惑する事だろう。

(どうしたら……)

 それでなくとも左兵衛佐には酷い迷惑を掛けているのだ。一時は春宮にも疑われ、このうえ椿のせいで父右大臣にまで疑われるなど、左兵衛佐に申し訳が立たない。

(そうだわ、兄上なら……!)

 兄は左兵衛佐と親しく、椿が文の返事さえ一度も返していなかった事を良く知っている。父に証言して、諌めてくれるかもしれない。

「安芸。兄上のところに伺いたいわ」

 安芸は怪訝そうに顔を持ち上げて椿を見た。

「まぁ……でも、お殿様は大人しくこちらにいらっしゃるようにと」

「……でも、どうしても会いたいのよ」

「……」

「それじゃあ、申し訳ないけどこちらへお呼びして」

 安芸は様子を伺うように椿をじっと見てから、立ち上がった。

「分かりましたわ」

 そう言って下って行き、また直ぐにさやさやと衣擦れの音が戻ってくる。

「安芸?」

「近くの局に控えてらした丹後さんに、言伝てをお願いして参りました。直ぐに高成様にお伝え出来ると思いますわ」

「……そう」

 安芸はまたすっと端座して庇近くに控えた。安芸の様子が常とは違うのを、当然の事とはいえ、椿は切なく思った。

 しばらくすると女房の丹後が戻ってきて、安芸に耳打ちした。

「まぁ……」

 安芸は青ざめた顔で椿を振り返った。

「あの、姫さま……高成様は、お殿様に連れられて、ご一緒に左兵衛佐様のご実家、権大納言家へ向かったそうですわ」

「なんですって……」

「まぁ……高成さまなら事情をご存知のはずですのに……」

 安芸も困惑したように袖で口元を押さえている。

(兄上……)

 兄は、父を諌めてはくれなかったのだろうか。……しかしもう他に頼れる者もいない。椿にはこれ以上何の手立ても浮かばなかった。不安の中、二人の帰りを、待つほかなかった。



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