五十七.
その日も積もった雪が目に眩しい、穏やかな陽気の一日だった。
「はぁ……」
広げていた文を畳み、椿は思わず肩を落とす。
「まぁ、まだ兄さまは訪ねて来ませんの?」
安芸が覗き込んできた。
「そうよ……。……隆文は、酷いわ! 前のように家の使用人という訳ではないんだもの、あたくしの方から部屋に呼ぶという訳にはいかないのに……!」
父右大臣からの許しを貰ったときは、突然の吉報に呆然としたものだが、その後、直接文を貰えるようになってもう五日、椿は直ぐにでも会いたくてたまらないで居るというのに。
「文だけなんだもの」
椿はもう何度目かのため息を落とした。日に一度届けられる文の内容も、父に渡していた恋の歌とはうってかわって、時候のことや仕事のことなど、当たり障りの無い内容になっている。椿の方もこれでは恋歌も詠めず、当たり障りの無い返事しか出来ないでいた。
(……どうして……?)
もう、二人の間には何の障害も無いはずなのに。
「まぁ……あの……。こちらに、文のご用意を致しましたわ。お返事、頂けますわよね、姫さま」
安芸は心配そうに椿の様子を伺っている。
「……」
椿は文机の前に座って、今畳んだ文をもう一度広げた。
『ごきげんよう、姫。お変わりはありませんか。今日は雪もやんで、暖かくなりましたね。つい昨日まで冷え込んでいたのに、急に暖かくなって、今日はまるで春のようです。急に暖かくなるとまた、体調を崩す事もありますから、お風邪など召されませんよう、充分注意なさってください。特に夜に冷たいものをお召しになるとお身体を壊されますから、安芸にもよく言って、暖かい汁物などを頂くようにしてくださいね。
それからいつも、丁寧な文のお返事を、ありがとうございます。姫から文を頂けること、私は本当に幸せに思います。お笑いになるかもしれませんが、私はまだ夢ではないかと、何度も文箱を開けて確かめてしまうのです。
今は何かと忙しく、ご挨拶もままならない事、どうかお許しください。ようやく右大臣様とも打ち解けて、日々忙しくはありますが、私は毎日充実しています。 隆文』
まるで昔に戻ったよう。昔は、直接こうしてあれこれと、細かい小言を言われたものだ。しかし今は。
(……逢いたいのに……!)
どうして逢いに行くとも、逢いたいとも書いてよこしてはくれないのだろう。
『ごきげんよう、隆文。あたくしは変わり無いわ。貴方もお元気そうでなによりね。安芸がよく気をつけてくれているので、夜も暖かく――
途中まで書いて、筆を止めた。ぐしゃっと料紙を握り締めて、それを安芸に押し付けるようにして渡す。
「ひ、姫さま!?」
「新しい、ご料紙を」
「え。は、はい」
用意された白い料紙をじっと見つめ、椿は筆を走らせた。
――あひ見ては 千歳(ちとせ)や去ぬる 否をかも 我やしか思ふ 君待ちかてに
(最後に会ってから、もう千年もたったような気がするわ。貴方に、会いたくて)
一首。
「これを……」
安芸に手渡すと、すぐに文使いの童に渡しに行ってくれた。
(やっぱり、はしたなかったかしら……)
女の方からあんな文を出すのははしたないと、また小言を貰うかもしれない。それでもどうしても、書かずに居られなかったのだ。
明日には貰えるだろう文の返事を待つのももどかしく、椿はそわそわと扇をもてあそんだ。
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