五十八.



 隆文に、会いたいと文を出した、その翌日。もう、いつもなら文が届けられる夕刻を過ぎても、何の返事も来なかった。日が暮れて、格子も降ろされ、すっかり冷えた夜気に包まれても、何の音沙汰もない。

「……酷いわ」

 ぽつりと呟いて、椿は脇息に突っ伏した。勇気を振り絞って書いた文だったというのに、相手にもしてくれないのだろうか。あんなにも情熱的な文を、山のようにくれていたというのに、一体、どうして。

「姫さま」

 安芸が上掛けを持ってやって来て、椿の肩に掛けてくれた。

「あの、兄さまをお恨みにならないで下さいましね。きっと直ぐにも来たいと思っているんですわ。来られないのは、何か事情が……」

「今日は文も来ないわ!」

 安芸が悪いわけでもないのに、つい八つ当たりしてしまう。こんなにも、泣きたいほど会いたいのは自分だけなのだろうかと思うと、椿は悲しく、切なかった。

「あの……」

 安芸はかがんで、困った様子でおろおろと、椿の顔を覗き込んだ。

「姫さま、あの……。兄さまは、その……」

 何か言いかけて、口ごもる。椿は不審に思って安芸を見た。

「なぁに?」

「……い、いいえ。何でもありませんわ」

「!」

 そそくさと退出しかけた安芸の袖を掴んで引き止める。

「どうしたの?」

「いいえ、あの、何でも」

「まぁ! 絶対に何か知っている口ぶりなのに、教えてはくれないの!?」

「……!」

 安芸は心底困った風に袖で口元を隠し、目を泳がせている。このまま責めたら泣き出してしまうかもしれないと思ったが、それでも椿は掴んだ袖を離さなかった。

「安芸、あなた隆文から文か何か、連絡を貰っているんではなくて?」

「い、いいえ、あの本当に……」

「安芸!」

 強い口調で名前を呼ぶと、とうとう安芸は目に涙を浮かべはじめた。

「あの、私……」

 その時、ふっと燭台の火が揺れた。大きな影が部屋を横切ったかと思うと、そこに公達の姿が照らし出される。

 くすくすと、聞こえる忍び笑い。

「……兄さま!」

 安芸が振り返った先には、確かにその人が居た。青い直衣に、涼しげな横顔。

「困らせてすまなかったね、安芸。……姫に隠しておくのは、無理だったようだ」

 安芸の方を向いていた視線がゆっくりと動いて、まっすぐに椿を捕らえる。

「……あ……」

「遅くなって、すみません。姫」

 にっこりと、口元に笏(しゃく)をあてて微笑を浮かべている。

「隆……っ」

 急に胸が熱くなって、言葉にならなかった。

「兄さま……。それじゃ、私は、退散いたしますわ」

 安芸ははぁっとあてつけのように盛大なため息をついて、退って行った。

 二人、残されるともう、何も考えられない。

 椿は上掛けを肩からすべり落として立ち上がり、隆文の元へ駆け出した。

「……逢いたかった……!」



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