十三.


 梨壺に届けられた文を見て、幸孝は愕然とした。

(……き、嫌われている……?)

 うきうきと楽しい気分でおくった初めての恋文だった。身分を明かして届けた恋文の、その返事だというのに、この歌は。

(断りの歌じゃないか……)

 まさか源大納言は首を縦に振らなかったのだろうか。いや、あの大納言は従順な人柄で、まさか父帝からの話を断ろうとするとは思えない。ならば。

(これは姫自身の意思……)

 さぞや驚くだろうとは予想していた。しかしまさか、断られるとは幸孝は夢にも思っていなかった。この身分至上の社会において、春宮の自分を断ろうという姫がいるなどとは、夢にも思わなかったのである。

 それにあの姫は自分を嫌っているようには見えなかった。どちらかと言えば好かれているだろうと、勝手に思い込んでいたのだ。

 こんな打撃を受けたのは、初めてだ。

(どうしたら……。もう一度父帝に言って……いや、源大納言に直接俺からも言ってみるか……。いやいや、それよりもう一度二の姫に文を出して……。でも)

 しかしまた連れない返事しか来なかったらと思うと……怖い。誰かに文を出すのを怖いなどと思ったのは、生まれて初めての経験である。誰も彼も、幸孝からの文は御製(ぎょせい:皇族自らが作ったもの)だとして大変な誉にしてくれていたのだ。

 こんな想いを、幸孝は知らなかった。居ても立っても居られず、ぐるぐると梨壺を歩き回っていると、そこへ、声をかけられた。

「幸孝様……?」

 渡殿の方から幸孝の姿を見つけ、足早にやってくる。

「……峰平!」

 親友の顔を見つけて、幸孝はホッとした。この親友になら、すべて相談できる。そうだ、彼はこんど結婚すると言っていたし、女性への文の書き方も詳しいかもしれない。

「どうしたんですか、顔色が悪いですよ? それに簀子縁を行ったり来たりして……」

「峰平、良く来てくれた! こっちへ……」

 梨壺の奥へ引き入れて、幸孝はすべてを打ち明けた。



 姫君から届けられた文を、峰平は怪訝そうにじっと見下ろした。

「……こんな文を……。本当に、信じられないな」

「だろ? 俺もさ、どうして良いか分からなくて。源大納言を責めても、それで余計に二の姫の機嫌を損ねるかもしれないし……」

「……でも」

 峰平は顔を上げた。

「いくら姫君の機嫌を損ねたところで、後宮に上げることは出来ますよ。……幸孝様は……春宮なんですから……それこそ主上にでもひと言言って頂ければ」

「そっ、そんな事したら、ますます嫌われるじゃないか!」

「……」

「俺は二の姫とは仲良くしたいんだ! 望んで入内して欲しい!」

「望んで……入内……?」

 峰平はふっと目を伏せた。

「古来……自分の意思で入内を望んだ姫君がどれだけ居たでしょうか。全て入内は政治的なものですよ、幸孝様。……貴方の、桐壺様だって」

「!」

「姫君に、自分の意思で断ることなど出来ません。幸孝様は、こんな文に戸惑う必要なんて、無いんです……」

「……お前」

 いつも優しく、幸孝が望む言葉ばかりをくれる親友が、なぜ今日に限りこうも冷たいのか。

「だけど……やっぱり二の姫の機嫌を損ねたくないんだよ……。なんとか、上手く姫をその気にさせるような文の書き方を……」

 ふっと顔を上げた峰平の表情は、酷く悲しげだった。まるで幸孝がこの親友をいじめてしまったかのように。

「ごめんなさい……幸孝様。……僕には、力になれそうにありません」

 そう言って立ち上がると、さっさと梨壺を出て行ってしまう。

「な……」

 あんなに悲しげな峰平の様子を、幸孝は見たことが無かった。

(どうしたっていうんだ……?)

 ただ呆然と、親友の後姿を見送るしかなかった。



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