十四.


 ざわざわと、生ぬるい風の吹く夜だった。

 京の源大納言邸に戻ってきていた二の姫・百合は、その晩、寝つけずに何度も寝返りを繰り返した。

(暑い……)

 しかし寝つけないのは暑さのせいばかりではない。先日、春宮へおくった断りの文。それについて何の音沙汰もなく、ここ数日悶々と考えるばかりの日々が続いているのだ。

(咎めるなら咎めるで、早くすればいいのに……!)

 父も春宮も、何も言っては来ない。何も言われずに過ごす日々は、胸に鉛を抱えているようだ。

「はぁ……」

 天井を見上げてため息をついたとき、とんとん……と妻戸(つまど:出入り口の扉)が鳴った。

(……? ……何……?)

 人が訪ねて来る時間ではないはずだ。

 とんとん……と、また。確かに鳴っている。慌てて身を起こし、妻戸に近づいた。そして囁く声を聞く。

「姫……」

 ざっと、全身に冷や汗が浮かんだ。……知らない男の、声。

 さすがに怖くなって、後ずさりしながら人を呼ぼうとした、その時。



「――さ百合花(ゆりばな) ゆりも逢はむと 下延(したは)ふる 心しなくは 今日も経めやも
(後に逢うことも期待できないのなら、今日という日を過ごすことも出来ません)」



(この歌……!)

 先日春宮に送りつけたあの歌を思い出す。そして良く聞けばこの声は。あの、水辺で会った公達の顔が、ありありと浮かんだ。

(でもあの公達は……!)

 まさかそんな事が、と疑いながら、しかしそれはほとんど確信に近かった。

「……と、春宮……?」

 声をかけると、妻戸の向こうで身動きする気配がした。

「二の姫……。俺のことが……お嫌いですか。すぐに春宮だと名乗らなかったこと……無理やり貴女に接吻したこと……まだ、怒っていますか。俺は……貴女に会って、これが本当の恋なんだと……知ったんです……」

「あ……」

 ひどく切ない声音を聞いて、百合はほとんど反射的に、掛け金(かけがね:鍵)をはずしていた。



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