十六.


 もう何の不安も無い。

 昨晩は苦労して後宮を抜け出し、直接会ったかいあって、二の姫は「嫌ではない」と、はっきり言ってくれたのだ。

 幸孝は足取りも軽く、再び清涼殿をたずねる事にした。父帝から源大納言へはもう話をして下さっているはずだが、早く経過を知りたい。

 その清涼殿へ向かう途中、母中宮と出くわした。

「あら、春宮……ごきげんよう。今日はまた一段とご機嫌ね」

 ふふ、と笑われて、幸孝は笑顔でこたえた。

「はい、母宮。源大納言の二の姫のこと、とても楽しみにしているんです」

 少し気恥ずかしくはあるが、隠すことでもないので素直に言った。

 母宮は扇で顔を半分隠したまま「まぁ」と半分呆れたように笑った。

「それは良かったこと。ではちゃんと、峰平の君ともお話されたのね?」

「え……峰平?」

「あら……」

 母宮は一瞬驚いたように眼を見開き、それからまずい事を言った、というように顔をそむけた。

「……まぁ……。いいえ、何でもありませんわよ……」

「? 峰平がどうしたんです?」

「いいえ、何でもありませんわ。気にしなくて良いのよ」

 もう母宮はいつも通りの笑顔を浮かべていて、それ以上言う気は無さそうだ。

(……峰平……?)

 最後に会った時の事を思い出す。二の姫宛の文の書き方を相談しようとした幸孝を冷たく断り、酷く悲しげな顔をして『僕は力になれません』と言って去ってしまった。

 あの時は、何がなんだか分からなかったが……。

「あの、母宮。峰平は先日何か悩んでいるようでした。何か知っているなら教えて頂けませんか」

「貴方は気にしてはいけないわ。峰平の君が何も言わないのなら、貴方は知らないほうが良いのよ……」

「……! そ、そこまで言われて気にするなと言われても、無理です! 俺が何を知らないっていうんですか!」

 母宮の行く手を遮るようにして立ちはだかると、背後から声をかけられた。

「何を騒いでいるんだい、騒々しい」

「父上!」

「まぁ、主上……」

 ずらりと女官達に囲まれて、そこには父帝が立っていた。

「そんなところで立ち話も無いだろう、来なさい」

 言って、清涼殿へと向かう。母宮も幸孝もつづいて、清涼殿へ向かった。



 清涼殿へ着くと、人払いをして三人きり、向かい合って座った。父帝は母中宮にふっと横目で視線を投げかける。

「意外と貴女にはうっかりした所があるよね、昔から」

「ま、まぁ……!」

 母宮は扇で顔を隠したまま眉を寄せ、視線をそらしてしまう。父帝は小さく笑って、こちらを見た。

「実は峰平には黙っているようにと頼まれていたんだが……これではもう、仕方がないな。どの道いつかは伝わることだ。……源大納言の二の姫には、婚約者が居たのを知っているね?」

「はい……」

 そういえば、ほとんど忘れかけていたが、はじめて川で会ったとき、姫は自分には婚約者が居る、と言っていた。

「……え……。……まさか」

 峰平は先日、嬉しそうに『僕も、結婚が決まったんです』と……。

「うん、それがね、右衛門佐(うえもんのすけ)……峰平だ」

「……!」

 幸孝は絶句した。



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