二十.
「か、からかってなんか、無い!」
「じゃあどういうつもりなのよっ! 近いうちに会おう、なんて言った舌の根も乾かないうちに、やっぱり元の婚約者と復縁しろですって!? ふざけないでっ!」
「う……それは」
「嘘だったんでしょう!? 全部! 最初から……最初から全部、からかってたんだわっ! 春宮だからって……何してもいいっていうのっ……!? 最っ低よっ」
「……違うっ!」
つい大声で怒鳴り返すと、一瞬、びくりと姫が身をすくませる。
「な、何が違うって言うのよ……っ」
……嘘なんか、ひとつも無いのだ。
「嘘じゃないんだ……っ、俺は本気だったんだ、本気で……貴女の事が好きで……」
だから、姫の姉である甘菜を女御にしている自分より、峰平と結ばれたほうが幸せになると考えた。
「あいつ、峰平……右衛門佐は、俺なんかより、ずっと良い奴なんだ……。……あいつと結婚するなら、きっと誰より幸せになれるんだよ……っ」
「……え……?」
「あいつは、いつも桐壺の事を気の毒がってたし……俺なんかと違って、ずっと優しくて、大人なんだ……だからっ」
「……な、何を言って……」
「だから俺は、あいつに……譲ろうって……決めて」
しん、と静寂が流れる。
しばらくすると、姫の手が伸びて、幸孝の頬に触れた。
「!」
驚いて姫を見ると、姫は困ったような顔をして、幸孝を見上げた。
「……何を泣いてるのよ……。……春宮のくせに……」
「え……」
気づいてみれば確かに、幸孝の頬を、雫が一筋、伝っていた。
「……馬鹿ね……」
「……な。お、お前、いくらなんでもそれは」
無礼だぞ、と言いかけて姫の顔を見ると、その大きな瞳に、溢れそうな程の雫がみるみるうちに浮かんだ。そしてそれは直ぐに、ぽろりぽろり零れて、白い頬を伝っていく。
「えっ!? な、何で……っ」
あれほど気丈な姿を見せた姫の、突然の涙に幸孝は慌てた。
「な、泣くなよ……」
焦りながら、姫の頬に手を伸ばす。
「言われたくないわ……っ」
手の平で留めようとしても止まるはずもなく、その涙はどんどん溢れて姫の頬を伝う。幸孝は酷く困惑した。
「……私が、この十日あまり、どんな気持ちだったか分かる……っ?」
「え……」
姫は泣きながらも怒った瞳で幸孝を睨みつけた。
「……それは……」
もともと二の姫は、峰平と婚約していた。一度は入内話も断っていたし、元の鞘に戻るだけなのだから、多少困惑する事はあっても、まさかこんな風に泣くなどとは、思ってもみなかった。
「……酷いじゃない」
そう言うと、姫の瞳からふっと険が取れた。
「……私も……。……私も好きに、なっちゃったのよ……貴方のこと。……今更他の殿方とくっつけなんて……酷いじゃない……っ」
「……!」
互いに互いの頬を抑えあい、見つめ合った。
姫の大きな瞳から、後から後から、雫が零れる。
(馬鹿だ、俺……)
ずきずきと、胸が痛い。
たまらずにぎゅっと、姫を強く、抱きしめた。
「ごめん……」
姫の幸せを考えているつもりになって、その気持ちを、ちゃんと考えてなどいなかった。
「……ごめん、俺……」
「……ひどいわよ……」
「ごめん、本当に。俺……俺、やっぱり……」
(峰平、ごめん……っ!)
「……やっぱり、貴女を女御にするよ……」
「……っ!」
ひくひくと、狭い部屋の中に姫の小さな嗚咽が響く。
「二の姫、俺……」
言いかけると、姫が腕の中で顔をあげた。
「……百合……」
「……え?」
「百合よ……。私の、名前」
もう一度強く、抱きしめる。
「……百合。……俺……百合の事が、好きだ……っ」
背中に回された百合の手にも力が込められた。
「……春宮……っ」
……お互いに精一杯、しがみつくような抱擁だった。
そこへ……
「きゃああああーーーーーーっ」
耳をつんざく様な悲鳴が、届いた。
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