二十七.
はっとして身を起こし、辺りの様子を窺うと、簀子縁のほうに人の気配がする。
「春宮……っ」
その声は。
「……ゆ、百合……!?」
慌てて寝台を這い出て妻戸をあけると、やはりそこには、百合の姿があった。
「良かった、起きてた……っ」
「な、なんでここに……」
「大変なの! 姉上が……っ」
外では見回りの者に怪しまれる恐れがある。慌てて百合を妻戸の内に引き入れた。
「甘菜が? 何?」
「い、居ないの……っ、居なくなっちゃったのよ……っ! しょ、少納言は、姉上の寝台の側で倒れてて……っ」
「えぇ……っ!?」
「まだ遠くへは行ってないわ! 私、気になって、何度か見に行ってたの。半刻(一時間)前までは、確かに居たのよ……っ」
時刻は既に、子の刻(ねのこく:深夜零時)。あの甘菜がたった一人で……どこへ行けるというのか。この後宮を抜けることさえ、きっと出来ないはず。まして甘菜はまだ怪我を負っている。
そこではっと、幸孝は気づいた。どうして忘れていたのだろう、甘菜には、通う男が居たはずだ。男の手引きがあれば、あるいは……。
「ともかく、桐壺へ……っ」
二人で桐壺へ駆けつけると、百合の言うとおり殿舎の奥はもぬけの殻だった。
甘菜の寝台の足元には女房の少納言が青ざめた顔で倒れ伏していて、何か争った跡まである。おそらく男の手によって、気絶させられたのだろう。
「……くそっ」
表立って号令し、甘菜を探しだすことは、出来ない。
もし男と一緒のところを発見すれば、もう甘菜には言い逃れも出来ず、恐ろしい罪を犯した身として、詮議しなくてはならなくなる。女御の身でありながら他の男を通わせたなどと公に知れれば、相手の男ともども流罪、悪くすれば……死罪だ。
何としても秘密裏に探して連れ戻し、何事も無かったように振舞わせるしかない。
「……何を考えてるんだ……っ」
幸孝は、許すつもりだった。気づかぬ振りをして、やり過ごすつもりだったのに……。
「姉上は、耐えられなかったのよ。ねぇ春宮、探さなきゃ……っ」
「しかし……」
一体どこへ向かったのか。たった一人で探すには、よく知る内裏とはいえ広すぎる。それにもう、内裏を抜けて、都に出ている可能性もある。
あるいはまた、自害……。
ぞくりと背筋を走るものがあり、幸孝は首を振った。
何か手がかりは無いものかと辺りを見渡し、文箱を見つけた。祈るような思いで文箱をあけると、中には、たくさんの料紙があった。
「え……何、これ……?」
百合がそれを開いて、首をかしげる。
……水墨画だった。
それは草花だったり、木々だったり……空模様だったり……。
その見事な筆は……。
唐突に、思い出される言葉があった。『僕は……おっとりとして、優しい姫がいいですね。一緒に、絵でも眺めていただける様な……』
「……峰……平……」
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