二十九.
「……くう……っ」
苦痛に歪んだ声があがり、呆然とした峰平に、しかし百合は果敢にも取り付いて小太刀を奪おうとした。その百合の腕からは、血が、流れ出ている。
「やめろっ」
幸孝は直ぐに峰平に飛びつき、百合を押しのけて小太刀を握った。
「あ……っ」
怯んだ峰平を渾身の力で殴りつける。
峰平は後ろに叩きつけられるように倒れ、小太刀はその手を、離れた。
幸孝は峰平の上に馬乗りなると、もがいて逃れようとする峰平を再度強く、殴った。
拳が、痛い。人を殴るなど、生まれてはじめての経験だ。
「お前……っ、いい加減にしろよ……っ!」
しかし峰平はまだ逃れようともがいていて、さらに殴りつけると、ようやく、大人しくなった。
「はぁ……っ、はぁ……っ」
「幸孝様……」
峰平は名を呼ばったが、その目は宙を見ているようだった。
「……殺してください。自害が叶わないのなら、どうか、このまま……」
「ふ、ふざけるなっ、死ぬなんて誰が許すかっ! お、お前は俺の……っ」
峰平の胸倉を掴んで、揺すぶった。
「親友じゃなかったのかよ……っ」
幸孝は物心つく前に、すでに春宮だった。取り囲むのは全て大人達、殿上童(でんじょうわらわ:内裏にあがる事を許された貴族の子供)でさえも皆、遠巻きに遠慮がちに幸孝に接する中、……ただ峰平だけが側へ来て、隔て無く遊んでくれた。唯一、側へ寄る事を許された、歳の近い貴族の子供。
「……僕は、臣下ですよ。……幸孝様……」
「……っ」
「そんな……顔をしないでください。僕は貴方を裏切った……裏切り者の、臣下です」
「止めろよ……」
寂しいと思えばいつのまにか側に居て、悲しいと思えば優しい笑顔で慰めてくれる。いつでもそうやって峰平は、幸孝の近くに居て……幸孝と一緒に、育って来たのだ……。
「親友だ……」
絶対に、失いたくない。
幸孝は峰平の身体を引っ張り起こして、その目を見据えた。
「お前が臣下だって言うなら、絶対に俺に逆らうな、いいか! これから言う事は命令だ、逆らうことは許さない」
言いながら、百合のほうへ視線をやった。百合は、切られた腕を押さえて、うずくまっている。上腕から滲む血は、抑えきれずに滴っていた。
「……いいか峰平、お前は百合を支えろ。百合を支えて、桐壺まで戻るんだ。俺は甘菜を運ぶ」
「……っ」
「百合はじきに女御にするんだ、下手な真似してみろ、許さないからな……っ」
「……幸孝様……」
峰平は気圧されたのか、それ以上何も言わなかった。
「百合、歩けるか?」
「……う、うん……大丈夫……」
真っ青な顔をしている。本当ならば自分が百合を支えたいのだが、しかし峰平に甘菜を運ばせては、また変な気を起こされるかもしれない。こうするしか、ないのだ。
落ちている小太刀を遠くへ蹴り飛ばし、甘菜を運ぼうと手を伸ばしたとき。
遠くから、ざわざわと数人がこちらへ向かって来る気配がした。
(気づかれた……っ)
警護の侍(さむらい)たちに、違いなかった。
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