三十四.


 桐壺を訪れると、甘菜はいつもの寝台には居らず、起きて脇息にもたれているようだった。

「甘菜……」

 呼ぶと、こちらを見て、微笑んだ。

「ごきげんよう、春宮」

(え……っ)

 甘菜が自分からこのように微笑んで挨拶をするなど、今だかつて、無かった事だ。峰平との件がばれて、後ろ暗いことが無くなり気分が上向いているにせよ、こんな様子は珍しすぎる。

「あ、甘菜……どうしたんだ、その……」

 いや、挨拶くらいしても当然は当然だ、何もどうしたと尋ねるほどの事では無い……そう思いながらも、やはり尋ねてしまった。

「挨拶してくれるなんて、……珍しい、な」

「あら。挨拶くらいしますわ」

 そういって微笑みかけてくるその顔は、どきりとする程、美しい。そうだ、もともと甘菜と百合はそっくり同じ……。まるでそこに百合が居るようで、幸孝はどぎまぎした。

(馬鹿な……っ、俺って奴はこんなに簡単な奴なのか……っ!?)

 心臓が早鐘を打っている。

 狼狽して、こめかみに流れた汗をぬぐうと、甘菜はふっと顔を背けて、肩を揺らした。

「え……? 甘菜……?」

 また突然、泣き始めたのだろうか。そうだ、大体いつも甘菜は泣いてばかりいる。この姿のほうがずっと自然だ……とそう思ったとき。

「ぷ……っく、あははっ」

 甘菜は突然声をあげて笑い始めた。

(……っ!?)

 唖然として見ていると、

「やぁね、本当に分からないなんて。……私、百合よ」

(……!?)

「百合よ、ねぇ、本当に分からないの?」

 そう言いながら近づいて来て、顔を覗き込まれる。

「あは、これならもうバッチリ、絶対にばれないわね!」

 百合は満足げに笑った。

「ゆ……」

 幸孝は何度もつばを飲み込んだ。

「……百合……だって……?」

「そう、百合でーす」

 あっけらかんと笑っている。間違いなく、百合だった。

「な、な、じゃあ、甘菜は……っ!?」

「帰ったわよ、実家に。ちゃんと挨拶もして行かれたでしょう? 帰ったら右衛門佐と、復縁ね」

 そう言って片目を閉じて見せている。

(じゃあさっき挨拶に来たのは甘菜……!?)

 幸孝は呆然と目の前の百合を見つめた。



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