四.
「悩み事ですか、幸孝様」
「んんー、まぁな。いつもの事だ」
「……桐壺女御様ですか」
峰平は僅かに眉を寄せる。心配そうな表情。こんな事を直接話せるのは、この峰平だけだ。
峰平は、幸孝の叔父にあたる式部卿の宮の息子で、幸孝とは従兄弟(いとこ)の間柄である。歳は幸孝より一つ下の十六歳。式部卿の宮は父帝とも母中宮ともとても懇意にしており、峰平も小さい頃から良く宮中に出入りしていたので、幸孝とは幼馴染であり、また、何でも話せる唯一の親友だった。
「いや……いい加減、俺も他の女御を迎えようかと思うんだけどさ……。お前、誰か知らないか、明るくて楽しい姫。出来れば、美人で」
「幸孝様……僕はたしかに幸孝様よりは身軽な衛門佐(えもんのすけ)ですけど、やっぱり女御になれるような身分の姫君との交流はありませんよ。……噂は耳にしますけど、知ってる事はたぶん幸孝様と一緒です」
「やっぱりなぁ……」
「……桐壺様のことは、もう……諦めたんですか……?」
「……桐壺ね。このところずっと話もしてないし、会ってもないよ。もう、皆知ってるし」
「だからといって、そういった扱いをしては、……気の毒ですよ……」
「しょうがないだろ。向こうが頑ななんだよ。俺だって始めは仲良くしようとしたんだから」
峰平は悲しげに眉をひそめた。
「……そう、ですね……」
峰平は昔からとても優しい奴だ。こうして何の縁もない女御のことまで心配しているのだから。
「いいんだよもう、桐壺のことは。俺は新しい女御を迎えるんだ」
「……そうですか……」
「なんだよ、お前が暗くなるなよな。それより、そうだ、お前はどうなんだよ、そろそろお前も妻の一人くらい」
言うと、峰平は顔を上げ、ぱっとはにかんだように笑った。
「そうですね。……僕は……おっとりとして、優しい姫がいいですね。一緒に、絵でも眺めていただける様な方が」
「へぇ、そりゃお前にぴったりだな」
峰平は画才に長けていて、たまに水墨画を描いては母宮等に献上して、喜ばれている。幸孝には詳しいことは良く分からないが、確かに上手いものだった。
「実は僕……結婚が決まったんです」
照れたように小首をかしげながら言った。
「えっ、本当かよ、良かったじゃないか」
「ありがとうございます。……そうですね、良かったです」
また、はにかんだ笑い。しかし女御の事で鬱々としていた幸孝に気兼ねでもしているのか、手放しで喜んでいるようには見えなかった。
「で、どこの姫?」
「それは……」
言いかけて、峰平は口ごもった。
「まだ、秘密です。そのうちに分かりますよ」
「? なんだよ、それ」
「そんなことより、幸孝様。いつも梨壺に篭っていては、気も晴れないでしょう。たまには、行啓(ぎょうけい:外出)でもされてはどうですか。僕も、久しぶりに幸孝さまと何処かへ出かけたい」
「えっ行啓? そりゃいい……けど、……でもなぁ……」
確かに、日々梨壺に篭っているのもつまらず、気晴らしは是非ともしたい。しかし、春宮という身分柄、そうやすやすと外出することは許されないのだ。まず真っ先に、母中宮に反対されるだろう。
すると峰平はふふ、と楽しげに笑った。
「実はもう、中宮様にはお許しを頂いてきたんです。僕の、独身最後の思い出作りに、幸孝様を貸して頂けないでしょうかって。快く許してくださいましたよ……宇治の辺りまでなら、って事ですけど」
幸孝は唖然とした。昔から、なぜか母宮はこの従兄弟に甘い。自分が頼んだのだとしたら、そう簡単に許してはいないだろう。
「ったく……あの母宮は……」
しかし久しぶりの外出は嬉しく、笑みがこみ上げる。峰平の肩を、ぽんと叩いて笑った。
「俺は本当にいい従兄弟を持ったな!」
そうして出かけた宇治で運命の出会いを果たすことを、幸孝はまだ知らなかった。
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