七.

 ひんやりと、冷たく足を撫でていく柔らかな水は、なんとも言えず気持ちが良かった。ごつごつとした岩や小石が足裏に当たる感触など、この先味わえることは無いだろう。

「なぁ、俺は、あんな舞いなんか出来ないぞ」

「あら、私も見よう見真似だし、適当でいいわよ」

 女は手に持った扇をすうっと横にずらして、くるくると回した。そしてまた、歌い始める。

「……遊びをせんとや生れけん 戯れせんとや生れけん……」

 女の歌声は美しくて、舞いはいい加減だと言っていたが、やはりその手の動きや身のこなしが艶かしく美しくて、幸孝はぼうっと女の動きに見とれた。

「なによぉ、貴方も、踊りなさいよ」

「いや、いいよ俺は」

 言うと、女は「何よ」と言って不服そうにしたが、手拍子してやると機嫌がよくなって、また歌い始めた。



 二人で適当に踊ったりはしゃいだりしているうちに、すっかり空は橙に染まっていた。

「はぁ……あはは、やっぱり一人より、二人のほうが面白いわ! 良かった、貴方に会えて。とっても楽しかった!」

 そう言って女は岸辺に上がり、いつのまにかずぶ濡れになっていた小袖を絞った。幸孝もついで岸に上がり、やはり同じようにずぶ濡れになった狩衣の裾を絞る。

(こんな……気分は初めてだ)

 女と一緒になって衣を絞りながら、これまでにない胸の高鳴りに、幸孝は戸惑っていた。

(まさか……こんなところで、こんな姫に出会おうとは……!)

 幸孝はこの姫を手に入れたいと、強く思った。

 貴族の姫だと言っていた。どんな身分の姫だかは知らないが、このさい貴族ならもう何でも良い、女御でも更衣でも尚侍としてでも、とにかく後宮に上げて自分のものにするのだ。

「なぁ、貴女は……」

「なぁに?」

「いや……調べれば、分かるな、貴女の素性は」

「えっ! ちょっと何言ってるの!? 忘れるのよ、今日の事はっ! 最初に約束したじゃ……」

 怒った口調で言いかけた姫の腕を掴んで、強く引き寄せた。

「きゃっ、ちょっと……何」

 姫がよろめいて幸孝の胸にぶつかる。

(顔を……。顔をちゃんと、見たい)

 幸孝は垂らされた市女笠の衣をすっとたくし上げた。

「……あっ! 止め……」



 その顔を見止めて、幸孝は。

 愕然と、した。



 長いまつげに縁取られた、大きく潤んだ、黒々とした瞳。白く小さな輪郭、濡れた紅色の花が咲いたような唇。

 美しい、その面差しは。

(……甘菜……っ!?)

 それは、春宮幸孝ただ一人の女御・桐壺の……甘菜の顔と瓜二つだったのである。



<もどる|もくじ|すすむ>