九.


 峰平と別れた丘に戻ると、よほど慌てていたのか峰平は、こちらの姿を見つけるなり息を切らせて駆けて来た。

「お、遅かったじゃないですか、幸孝様! ……し、心配しましたよ……」

 辺りはもう、薄闇に包まれている時刻だ。

「いや、悪かったな」

 言いながら幸孝は、頬が笑うのを止めることが出来ない。

「もう……! どうしたっていうんです? 何かあったんですか?」

「あった」

「えっ」

 幸孝は慌てる峰平の肩を叩いて促した。

「ほら、お前も馬に乗れよ、話は山荘に帰ってからだ。ああそうだ、俺は明日には京に戻るぞ!」

「え、ええっ!?」

 驚く峰平を促して、幸孝は山荘へ戻った。



「そ、それはまた……変わった姫も居たものですね……。袴も穿かず、川に……?」

 帰って早速昼間の話をすると、峰平は信じられない話を聞いたというように首をかしげた。

「ええと……、それで、幸孝様は、その姫を女御にされるんですか……?」

「そうだ」

 幸孝は満足して笑い、手元の瓶子(へいし:とっくり)から酒を注いだ。

「……そ、それはまた……。そんな風変わりな姫を……女御に、ですか……」

 峰平は唖然としているようだった。この時代、姫君というものは屋敷の奥深くに居て決して表に出ることなどなく、慎ましく琴をひいたり歌を詠んだりして過ごし、人に姿を見られるなど、とんでもない恥とされているのだ。

 まして小袖一枚で外にいるなど庶民の女のする事で、貴族の姫では絶対にありえない事だった。

「いいんだよ、変わってようが何だろうが、美人で明るい! 俺の理想の姫さ」

 幸孝は言い切って笑う。しかし峰平はまだ腑に落ちないようで、小首をかしげたまま難しい顔をしている。

「はぁ……それで、その姫はどちらの方なんですか」

「それがさ……」

 そこでやっと幸孝の頬から笑みが消えた。偶然にしろ、実の姉妹を後宮に侍らせる事になる。それは幸孝としても多少、心苦しいことだった。どうして始めに入内したのが、妹のほうではなかったのだろう。

「桐壺の妹姫だった」

「……えっ」

 峰平ははっと顔を上げた。幸孝はうなずく。

「桐壺には異母妹がいると聞いている……その妹姫だ」

「……っ!」

 峰平は心底驚いたのか、目を見開いて幸孝を凝視した。

「では源大納言の……」

 そこまで言うと、ため息をついて肩を落とした。

「ご姉妹ともに後宮に……お召しになるのですね……」

 峰平の声は暗く沈んでいった。

 女御のことを話すとき、峰平はいつも桐壺に同情している風だった。その妹姫を入内させるとなれば、また桐壺には心痛を与えることになる。おそらくはその辺りを心配しているのだろう。本当に峰平は優しい奴なのだ。

「まぁ、今だってさ、桐壺とは上手くいってないんだ。二の姫が来れば、桐壺だって少しは元気になるかもしれない、実の妹が近くに居るんだから」

「……そう、ですね。……そういう事も、あるかも……」

 峰平は少し頬をひきつらせ、笑ったようだった。

「幸孝様……、求めてらした理想の姫が見つかって、良かった……ですね」

「ああ」

 幸孝は笑った。

 そうだ、あれほど悩んでいた女御問題。これで二の姫(妹姫)の方と上手く行けば、これまでいろいろと気を使っていた源大納言への気苦労もなくなるし、なによりあの姫とならば、きっと末永くやっていけるはず。

 二の姫のことを思うと、幸孝は未来が明るく開けていくように感じるのだった。



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